はちゃめちゃMylog☆

スピリチュアルの視点から私の日常、趣味を語りまっす。

やりたいことなんか、なんも関係なしにやりゃあいい。

タイトルからして少しヘンテコというかシンプルすぎて急に何という感じだが、先日父と話していて思った、いや降りてきたこの感覚をそのまま綴りたいと思う。

 

前の記事(つってもほぼ一年経ってます、はい)に書いたように、今は風の時代に突入してすでに2年近くが経過し、世の中の流れも随分と変わってきたことが顕著に(敏い人には)見えている。

支配する側とされる側に分かれた従来のピラミッド型の世界の構造が崩れ、代わりに各々が本当にやりたいことを自分の責任下において本氣でやるとうまくいく時代が訪れている。

 

こういったスピリチュアルな流れに敏感なわたしは、コロナが始まり風の時代という言葉を知ったころからずっと、魂が望んでいることをどんどんやって結果的に自分の歓びのエネルギーで周りを救える悟空みたいな人になりたいと思い続けてきた。

最近では、そんな生き方の末に今の三次元から五次元に到達する…そう、アセンションまで見据えていたのだが、どうもまだまだ古い地球の周波数に引きずられて(※周りの目が気になる、自信がないなど…)なかなか魂が望む方へ思い切り舵を切れていない。

 

それどころか、やりたいことをとにかく収益が得られるような形にしようという氣持ちが強いあまり、好きなことはあるものの、何からどう手をつけていいのか分からなくなってしまった。そして結局何も始めないまま、代わり映えしない毎日を悶々とやり過ごす自分を周りと比べ、これでいいのかと自問自答を繰り返していた。

 

わたしはこのままでいいのか。これからは風の時代で、それに従ってワクワクすることを本業にしていきたい。その氣持ちは本心だ。だけど、やりたいことが鮮明でないから言葉にできない。こんな曖昧な今の状況は説明してもきっと誰にもわかってもらえない。よく分からないことを言って、と批判されてしまうかもしれない。地に足つけて、地道に頑張っている人を見ると自分とは志向が違うと思うと同時に、偉いな、わたしもこうじゃなきゃいけないかなとも思う。こんなに悩むんだったら、みんなを説得できるような分かりやすいルートを辿った方が自分にとってもいいのではないか。でもやっぱり、適当に流される人生は選択したくない。風の時代に在るわたしは魂に従って生きたい。ああ、でも怖いし、やり方も分からない。どうしたらいいだろう。

 

そんな漠然としたモヤモヤを(現代人あるあるかもしれないが)わたしよりも何十年も前からスピリチュアルに傾倒する父にぽつぽつと伝えていた時、偶然点いていたテレビからwacciの最新曲、「恋だろ」が流れてきた。

 

「性別も年齢も 家柄も国籍も 外見も年収も 過去も何もかも全部

 

           関係ないのが恋だろ

恋愛において誰もが悩みやすい条件がつらつらと並んだあと、力強い声がそれらを突き上げた。

 

その瞬間、父はこういうことだよと言った。

え、これは恋愛の曲で…と言いかけて、ああ、と悟った。

 

そうだね。恋愛だけじゃなくて、性別や年齢やその他もろもろのことなんて氣にせず、自分が心から好きなことやピンときたことをただやればいいってことだよね。

 

 

乗り越えられんのが恋だろ

そうだった。何かに恋する、好きだっていう氣持ちって、ネガティブなエネルギーが作り出す壁なんてひょいって越えられるんだった。

 

誰に断るでもなく勝手に 

 

許可なんかいらないんだよね。人の指標なんて関係ないんだよね。きっと唯一必要なのは、自分がその氣持ちをゆるしてあげることだよね。

 

 

今日もただ君が好き

 

理由もほんとうはいらない。好きなものはただ好きで、だからやるでいい。

 

そうだ。どんな環境で育とうと、流行がどんなものであろうと、経験値が高い人がどういうアドバイスをくれようと、わたしはこれがいい。ってにこっとしていればいいんだね。

 

ああ、あと逆に流行っているからやらないとか、わざと王道を外れようとするとか、そう、いわゆる「逆張り」というやつ。これはわたしが(親譲りで)よくやってしまうことなんだけれど、それもやっぱり違うみたい。だって今の流行りが自分のドンピシャな場合だってあるし、みんなと違うことを選び続けるってのは、結局誰かに引かれた「裏」レールを歩いていることになって自分の魂がやりたいことなんかじゃないんだから。

 

 

もはや抗うでもなく 自然に

 

自然。宇宙とわたしを繋いでいる「ハイヤーセルフ」(=ほんとうの自分)の声を聞いて、素直に従うこと。

 

 

僕はただ君が好き

 

この「僕」は自分の本心を認めてて偉い。こうやって自分の本音を愛する子どものようにゆるして、抱きしめている人こそが周りの人のことも大切にできるんだよね。

 

 

言い訳もごまかしも噓も何もかも全部 

 

通用しないのが恋だな

 

 

今日もただ君が好き

 

 

明日もただ君が好き

 

 

それでいいのが恋だろ

 

思い出させてくれてありがとう。この混沌とした世の中において、わたしを含めた人々が忘れかけていた、でもこんなにも大事なことを明言してくれてありがとう。

 

ほんとうにそう。それでいいのが恋だ。そして、しつこいがこれは確実に恋だけに言えることじゃない。

 

人生全般において、生き方において、言い訳もごまかしも通用しない時代になったんだ。誰がなんと評価しようと、直感でビビッときたもの、人をただ好きでいていいんだ。ただ魂の歓びのままにいいと思ったことをやればいいんだ。それでいいのがこの風の時代なんだ。

 

これまでの時代は嘘がまかり通りすぎた。世渡り上手でずる賢く生きる能力に長けている人が勝って彼だけが得する、それで成立するような世の中だった。だけど、これからはちょっと不器用だなってくらい自分の気持ちに正直な人が勝つ。いやいや、ほんとうは勝ち負けなんて存在しない。

みんなが自分のハイヤーセルフに従って、歓びのエネルギーを放てば、この地球の周波数がぐんと上がってさらに宇宙が進化する。だから、それでいいんだ。

 

 

だから、わたしはこんな風に、今思ってることを言葉にして紡いでいこうと思った。それだけでなく、他の誰でもないわたしが心から大好きなダンスや絵、笑い、お芝居などで愛を表現していこうと思った。

 

この曲に出会ったことで、人を一発で説得・納得させられるような、そんな分かりやすい名前のついた「やりたいこと」が見つかったわけではない。だって、恋を含めた生き方に説明や理由なんて必要ないのだから。今この瞬間わたしが楽しい、好きと思えることをただやるだけでいいのだ。そう思えた。結果的にそれに名前がつこうとつかなかろうと、人を納得させようとさせられなかろうと、そんなことは関係ない。やりたいからやりたいでいい。

 

ここまで書いていて氣が付いた。これって最初にわたしがなりたいって言った悟空のことだ

好きな闘いを追求してたら、結果地球救ってた

魂の望みに従ってたら、結果愛の周波数を振りまいてた

一緒だ。少し回りくどいことしたけど、結局わたしが思ってたのってこれだ。

 

だから結局、wacciは、「恋だろ」はわたしにすごいことを気づかせてくれた。いや思い出させてくれた。ほんとうに感謝している。ありがとう。宇宙のはからいってやっぱりすごいなあ。宇宙もありがとう。

 

 

そして、こんなにも長い文章をここまで読んでくれたあなたにもありがとう。

あなたが今日もご自分のすべてををゆるし、そして愛せることをお祈りしています。

 

またわたしのはちゃめちゃな歓びをこの場に綴らせてください。