はちゃめちゃMylog☆

スピリチュアルの視点から私の日常、趣味を語りまっす。

損得考えずに子どもみたいに夢中になったあの時。

わたしは昨年の9月からあるダンススクールに通い始めた。もともとクラシックバレエ、モダンバレエ、ヒップホップを少しずつかじってきたので、普通の人よりは踊れるけど昔からやってきた人には敵わない…という感じ(こんな人は結構多いんじゃないかなと思ってる)だったわたしが本格的に習い直したくなったきっかけは近年流行りのk-popである。

 

それまで韓国のモノには何ら興味がなかったのに、2年前にBTSの「Dynamite」のグク(今度彼のダンスの魅力についてだけ語った文章も書きたい)のダンスに惚れてしまい、YouTubeのDance practice動画を繰り返し50回ほど(!)見て、イントロ間奏含め彼のパートを完璧にマスターしてしまうくらいだった。

あの頃は、コロナで大学がオンラインだったので、授業を受けては合間に踊り、バイトに行く前に少し振りを確認して、帰ってきて夜も踊り続けていた。誰にも頼まれていないのに、まるで翌月に舞台を控えているのではないかと思うくらい無我夢中で踊りまくった1ヶ月間だった。今思えば、あの時がわたしの人生の中で1番か2番を争うくらい魂の歓びをひたすら追っかけていた期間だったんじゃないかと思う。

 

話は少しそれるが、ちょうど今日敬愛するヨガの先生のレッスンを受けた時、人間には周波数の高さによって変わる3つの性質があると聞いた。我々が最も集中している時を「サットバ」、集中が切れ、心がソワソワしている時を「ラジャス」、全く動く氣が起きない時を「タマス」と呼ぶ。放っておくとすぐに「タマス」の状態に陥ってしまうわたしたちはまずヨガで體(からだ)の状態を観察し、瞑想で呼吸を調律し、周波数を微細に整えていくことで「サットバ」の状態に自分を持っていける。「サットバ」は至福に満たされる状態なので、セルフイメージがぐんと良くなり、體中の細胞が生き生きとし始め、現実が幸せなものに書き換わっていく。その上深い集中によって次々とひらめきが起こるので、今世での自分の使命に向かって一直線に人生を駆け抜けていくことができるのだ。

 

なぜこのように小難しい話を一回挟んだのかというと、「サットバ」はヨガや瞑想によってしか達せない状態ではなく、前に書いたような「無我夢中」の状態がイコールそれ、ともいえるからである。

それが有益なわけでもないのに、子どものように時間を忘れて熱中している時、ネガティブな感情が入る隙もないくらい夢中な時。誰しも一度は経験したことのあるような、でも一度しか覚えていないほど数少ないその瞬間。

 

わたしも「サットバ」など今までにあまり経験がないと思っていた。けれど、そうではなかった。わたしは馬鹿みたいに「Dynamite」を踊っていたあの時経験していたのだ。別にたくさん練習したからといって、誰かに褒められるわけでもなく、お金を稼げるわけでもない。少々引っ込み思案で見栄っ張りなわたしはInstagramなどのSNSにそれを投稿しようという考えもなかった。だからほんとうに誰にも見られることなくやっていたことだけど、すごく幸せで、満たされて、自分から見ても生き生きしていた。ひとりで部屋で黙々と踊っていただけだけど、ほんとうに楽しかった

 

ということは、わざわざ瞑想をするまでもなく、大好きなことを損得考えずにやるだけでわたしたちはいつも「サットバ」状態なのである。だが、大人になって社会の常識を知って賢くなると、なぜかこの感覚は忘れられてしまう。いくら高い成績を取って高い評価を受けていても、それはほんとうに賢くなっているといえるのだろうか?反対に、世の王道を外れた人が、損得考えず夢中で何かを熱く語ったり表現しているさまを見て、ちょっとばかだなと思いつつも魅力を感じたことはないだろうか。社会に出て頑張りすぎがゆえに「病んでる」人が多いこの世の中を見ていると、そういうばかなくらいの方が健全なのではないかとよく思う。

 

またもや長くなってしまったが、1年ダンススクールに通った記念(?)として、そのきっかけを振り返ってみたら実はその時、最も集中度と周波数が高い「サットバ」状態を経験していたということであった。今後は大好きなダンスをもっと意識的に、のめり込んでやっていきたいと思っている。それにプラスして、今よりもさらに「本当の自分」とつながるとうまくいくこれからの時代において、「サットバ」でいる時間を増やし、周りの人々にそのエネルギーを与えたい。想像していたら、すごく楽しくなってきたので明日も子どものように夢中でワクワクすることに一つひとつ挑戦していけるように、やっぱり瞑想をしようかと思う。(笑)

 

またまた長い文章を読んでくれてありがとう。あなたが今日も魂の歓びに従って生き生きと過ごせますように

 

 

 

やりたいことなんか、なんも関係なしにやりゃあいい。

タイトルからして少しヘンテコというかシンプルすぎて急に何という感じだが、先日父と話していて思った、いや降りてきたこの感覚をそのまま綴りたいと思う。

 

前の記事(つってもほぼ一年経ってます、はい)に書いたように、今は風の時代に突入してすでに2年近くが経過し、世の中の流れも随分と変わってきたことが顕著に(敏い人には)見えている。

支配する側とされる側に分かれた従来のピラミッド型の世界の構造が崩れ、代わりに各々が本当にやりたいことを自分の責任下において本氣でやるとうまくいく時代が訪れている。

 

こういったスピリチュアルな流れに敏感なわたしは、コロナが始まり風の時代という言葉を知ったころからずっと、魂が望んでいることをどんどんやって結果的に自分の歓びのエネルギーで周りを救える悟空みたいな人になりたいと思い続けてきた。

最近では、そんな生き方の末に今の三次元から五次元に到達する…そう、アセンションまで見据えていたのだが、どうもまだまだ古い地球の周波数に引きずられて(※周りの目が気になる、自信がないなど…)なかなか魂が望む方へ思い切り舵を切れていない。

 

それどころか、やりたいことをとにかく収益が得られるような形にしようという氣持ちが強いあまり、好きなことはあるものの、何からどう手をつけていいのか分からなくなってしまった。そして結局何も始めないまま、代わり映えしない毎日を悶々とやり過ごす自分を周りと比べ、これでいいのかと自問自答を繰り返していた。

 

わたしはこのままでいいのか。これからは風の時代で、それに従ってワクワクすることを本業にしていきたい。その氣持ちは本心だ。だけど、やりたいことが鮮明でないから言葉にできない。こんな曖昧な今の状況は説明してもきっと誰にもわかってもらえない。よく分からないことを言って、と批判されてしまうかもしれない。地に足つけて、地道に頑張っている人を見ると自分とは志向が違うと思うと同時に、偉いな、わたしもこうじゃなきゃいけないかなとも思う。こんなに悩むんだったら、みんなを説得できるような分かりやすいルートを辿った方が自分にとってもいいのではないか。でもやっぱり、適当に流される人生は選択したくない。風の時代に在るわたしは魂に従って生きたい。ああ、でも怖いし、やり方も分からない。どうしたらいいだろう。

 

そんな漠然としたモヤモヤを(現代人あるあるかもしれないが)わたしよりも何十年も前からスピリチュアルに傾倒する父にぽつぽつと伝えていた時、偶然点いていたテレビからwacciの最新曲、「恋だろ」が流れてきた。

 

「性別も年齢も 家柄も国籍も 外見も年収も 過去も何もかも全部

 

           関係ないのが恋だろ

恋愛において誰もが悩みやすい条件がつらつらと並んだあと、力強い声がそれらを突き上げた。

 

その瞬間、父はこういうことだよと言った。

え、これは恋愛の曲で…と言いかけて、ああ、と悟った。

 

そうだね。恋愛だけじゃなくて、性別や年齢やその他もろもろのことなんて氣にせず、自分が心から好きなことやピンときたことをただやればいいってことだよね。

 

 

乗り越えられんのが恋だろ

そうだった。何かに恋する、好きだっていう氣持ちって、ネガティブなエネルギーが作り出す壁なんてひょいって越えられるんだった。

 

誰に断るでもなく勝手に 

 

許可なんかいらないんだよね。人の指標なんて関係ないんだよね。きっと唯一必要なのは、自分がその氣持ちをゆるしてあげることだよね。

 

 

今日もただ君が好き

 

理由もほんとうはいらない。好きなものはただ好きで、だからやるでいい。

 

そうだ。どんな環境で育とうと、流行がどんなものであろうと、経験値が高い人がどういうアドバイスをくれようと、わたしはこれがいい。ってにこっとしていればいいんだね。

 

ああ、あと逆に流行っているからやらないとか、わざと王道を外れようとするとか、そう、いわゆる「逆張り」というやつ。これはわたしが(親譲りで)よくやってしまうことなんだけれど、それもやっぱり違うみたい。だって今の流行りが自分のドンピシャな場合だってあるし、みんなと違うことを選び続けるってのは、結局誰かに引かれた「裏」レールを歩いていることになって自分の魂がやりたいことなんかじゃないんだから。

 

 

もはや抗うでもなく 自然に

 

自然。宇宙とわたしを繋いでいる「ハイヤーセルフ」(=ほんとうの自分)の声を聞いて、素直に従うこと。

 

 

僕はただ君が好き

 

この「僕」は自分の本心を認めてて偉い。こうやって自分の本音を愛する子どものようにゆるして、抱きしめている人こそが周りの人のことも大切にできるんだよね。

 

 

言い訳もごまかしも噓も何もかも全部 

 

通用しないのが恋だな

 

 

今日もただ君が好き

 

 

明日もただ君が好き

 

 

それでいいのが恋だろ

 

思い出させてくれてありがとう。この混沌とした世の中において、わたしを含めた人々が忘れかけていた、でもこんなにも大事なことを明言してくれてありがとう。

 

ほんとうにそう。それでいいのが恋だ。そして、しつこいがこれは確実に恋だけに言えることじゃない。

 

人生全般において、生き方において、言い訳もごまかしも通用しない時代になったんだ。誰がなんと評価しようと、直感でビビッときたもの、人をただ好きでいていいんだ。ただ魂の歓びのままにいいと思ったことをやればいいんだ。それでいいのがこの風の時代なんだ。

 

これまでの時代は嘘がまかり通りすぎた。世渡り上手でずる賢く生きる能力に長けている人が勝って彼だけが得する、それで成立するような世の中だった。だけど、これからはちょっと不器用だなってくらい自分の気持ちに正直な人が勝つ。いやいや、ほんとうは勝ち負けなんて存在しない。

みんなが自分のハイヤーセルフに従って、歓びのエネルギーを放てば、この地球の周波数がぐんと上がってさらに宇宙が進化する。だから、それでいいんだ。

 

 

だから、わたしはこんな風に、今思ってることを言葉にして紡いでいこうと思った。それだけでなく、他の誰でもないわたしが心から大好きなダンスや絵、笑い、お芝居などで愛を表現していこうと思った。

 

この曲に出会ったことで、人を一発で説得・納得させられるような、そんな分かりやすい名前のついた「やりたいこと」が見つかったわけではない。だって、恋を含めた生き方に説明や理由なんて必要ないのだから。今この瞬間わたしが楽しい、好きと思えることをただやるだけでいいのだ。そう思えた。結果的にそれに名前がつこうとつかなかろうと、人を納得させようとさせられなかろうと、そんなことは関係ない。やりたいからやりたいでいい。

 

ここまで書いていて氣が付いた。これって最初にわたしがなりたいって言った悟空のことだ

好きな闘いを追求してたら、結果地球救ってた

魂の望みに従ってたら、結果愛の周波数を振りまいてた

一緒だ。少し回りくどいことしたけど、結局わたしが思ってたのってこれだ。

 

だから結局、wacciは、「恋だろ」はわたしにすごいことを気づかせてくれた。いや思い出させてくれた。ほんとうに感謝している。ありがとう。宇宙のはからいってやっぱりすごいなあ。宇宙もありがとう。

 

 

そして、こんなにも長い文章をここまで読んでくれたあなたにもありがとう。

あなたが今日もご自分のすべてををゆるし、そして愛せることをお祈りしています。

 

またわたしのはちゃめちゃな歓びをこの場に綴らせてください。

 

 

 

 

 

 

 

ドラゴンボールにスピリチュアル性を感じてる。~悟空の生き方編~

ドラゴンボールはスピリチュアルだ。平成の漫画でありながら、確実にこれからの風の時代を二次元上に具現化したものだ。

 

日本人であれば誰でも知っている必殺技「かめはめ波」は、武器ではなく「気」と呼ばれるエネルギーの塊だし、その「気」で空を飛ぶし、おまけに悟空は誰かの「気」をイメージすればどこへでも瞬間移動できる能力を修行で身につけている。こんなの、物質主義の地の時代のマインドではぜったいに描けない次元の漫画なのだ。

 

このように、ドラゴンボールには「ん?なんかこれスピリチュアルっぽい…?」と感じる設定がたくさんある。

その中で今回は私が特にこれはすごいと思っているドラゴンボールのスピリチュアル性について紹介しよう。それは、悟空自身の、風の時代に沿った生き方だ。

 

彼の好きなことは修行に次ぐ修行、そして強ぇやつと戦うことだが、それらをただひたすらにワクワクしながらやっている。決して「こうならなきゃいけない」とか、「これをすれば何かが手に入る」というマインドを動機としているわけではない。例えば、比較されやすいワンピースのルフィなんかは「海賊王になる」という目標を掲げてそれに向かって頑張っているが、悟空にはそういった目標もない。ただ好きだから、それをやっているというこの一点tのみである。

作中には、悟空は地球を救うために戦うと読み取れる描写がいくつもあって、実際に彼自身もそういった発言をしている。もちろん、その目的もあってこその行動だろうと思う。けれど、悟空は心の奥底で純粋に戦うことを愛しているのだ。だから戦っているのだ。(こう書くと戦闘狂みたいだが、悟空の好きな戦いというのは殺し合いではなく武術の発展したものを指している)

戦いたいから戦った(この辺で戦いのゲシュタルト崩壊を起こしました)その結果、地球を救ってしまっているのである。たまに悟空をヒーロー扱いする人がいるが、彼は本当の本心では、皆を助けるために戦っているのではない。違うのだ。悟空はヒーローとして魅力的なのではない。好きなことを夢中でやってたら地球を救ってました感、それこそが彼の魅力なのだ。

アニメZの魔人ブウ編からのオープニング曲の「We Gotta Power」に「夢中になれるモノがいつか君をすげぇやつにするんだ」という歌詞があるが、これは完全に悟空そのものである。義務やら固定概念ではなく、ワクワクを原動力として行動し、気づいた時には誰よりも強くなっている。お馴染みの「オラワクワクすっぞぉ!」の思いに素直に従っていたら地球を救っちゃっているということだ。

 

ここまで書いていて気づいた。私たちも悟空みたいに生きられるのではないだろうか。私たちだってワクワクすることをやればいずれ地球を救ってしまうのではないだろうか。いや、地球を救うためにやらなくていい。とにかくワクワクすることに脇目もふらず取り組んでいれば、素晴らしい結果が待っている。その生き方こそが風の時代に沿った生き方なのだ。

そう頭で理解できても、次の瞬間には地の時代の生き方、考え方に戻ってしまうだろう。しかしそんな時も大丈夫だ。ドラゴンボールを手に取り、おそらくこれまであなたが見たことのない観点から悟空を見てみよう。そしてそのワクワクに従う生き方、常識に縛られない自由さを目の当たりにしてほしい。「ちょい待ち、さすがに悟空みたいには…」と思ったあなた、いや、できる。できるのだ。風の時代はむしろそのほうが楽に、楽しく生きられる。

さあ、義務感や固定概念に縛られて行動する時代はもう終わりだただワクワクすることをしよう、そして今は想像もできないような素晴らしい景色を見に行こう。きっとそこでは悟空がワクワクした顔であなたを待っているだろう。